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自己否定,自己肯定 [汗牛充棟]

センター試験のkeywordの1つかもしれない。
「自己肯定」「自己否定」

2006年度センター試験・小説。book1.jpg 
僕はかぐや姫
作者: 松村 栄子
出版社/メーカー: 福武書店
発売日: 1991/05
メディア: 単行本

松村氏は次年度の堀江敏幸氏同様,1960年代生まれの,
やはり芥川賞作家で,この作品で1999年海燕新人文学賞を受賞。

 

思春期の女の子で,「ワタシ」という女性的一人称になじめず,自分のことを「ボク」という
同級生が周りにいませんでしたか? 80年代前半に大量発生したとされる,ボク女が主人公。
地方の進学高校の文芸部が舞台です。

05年に高校1年生の女子生徒による母親毒殺未遂事件が世間をにぎわせましたが,センター
試験側には何かしら意図や意味があったのでしょうか。この女子生徒の一人称がやはり「ボク」
だったのです。

この年齢の女子特有のものなのかもしれません。今でも,そうそう・・・弊社・漫研部にも1人
いますねぇ。彼女は「オレ」と言いますが(笑)。

そんな思春期の心の揺れや葛藤がこまやかに描かれていきます。
ファイターズの女子たちにも予想外にウケが良かったです。
解いてて楽しかったと・・・そ、そーっすかσ(^_^;)・・・もうオバチャンにはついていけない世界
ですから(´ρ`)ムリ~

06年度のセンター試験では設定を示すリード文と共に,1つの詩から始まります。

 ぼくに与えられた
 ぼくの一日を
 ぼくが生きるのを
 ぼくは拒む

裕生と尚子は同級生(高1)で,ともに文芸部員。
だけど,ほとんど口をきかない。
でも,互いに互いの共通性を見抜いて,見出してしまって
なかなか距離が縮まらない。
「普通ならば二,三時間で済むような内容をほぼ1年かけて語り合った」というくらい,
2人の間には大きな河が流れ続けていた。

ストーリーはほぼ裕生目線で描かれていきます。
似たもの同士で,関わりは薄いが,互いのことは分かるので,読みながら,
2人のコトなのか,裕生の視点なのか,裕生を介した尚子のコトなのかを
区別しながら読み進めていきましょう。

他の同級生よりオトナっぽくて,新入生らしからぬ,媚びない「ボク女」だった
尚子のことをシンパシイと反発が交錯するような気持ちで見ていた裕生は,
徹底的に自己の存在を否定する。名前をも無きものにしたいと思っている。
そして尚子のことをいつも気にかけていた。でも,友達にもなれないままいつの間にか
尚子が部活に来なくなった。

ある時久しぶりに部活に来た尚子は「あたし」という一人称を身につけていた。
その原因が〈恋愛〉にあることを,別のクラスメイトの姿を通して裕生は気づいてゆく。
そして裕生の自己否定はますます加速する。

「否定と拒絶からなる〈僕〉は,のびやかで透明だったけれど、虚ろに弱々しくもあった。」
という一文で問題文は終わる。

ある短い一時期のことで,過ぎてしまうとあれは何だったのだろう?と思うような
はかない現象ではあるけれど,当の本人たちにはとてつもなく重くて長い期間,
それが思春期なのかもしれない。
よく覚えていないけれど、私だって中2の頃の自分が一番嫌いだ(笑)。
誰もが経てゆく発達課題で,そつなくやりすごしていければいいのだろうけれど,
同じく近代の象徴的keywordに「多様化・多様性」がある。
自己否定があまりに深く息詰まった先には,もしかしたら幸か不幸か,性同一性障害
の扉を開けてしまうケースもあるだろう。そして自由で多様化が浸透すればするほど,
カミングアウトする若者もまたこれから教室の中に増えてくるのだろう。
養護教諭レベルの、保健室だけの問題ではなくなる日はそう遠くない,と私は思っている。

でも,現場の空気はいまだ全く無縁である。
花の都はいずれにしても,最後なんだろうな(^▽^;)
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