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自尊感情 [業務日誌]

どの学校に行っても,どの学校の先生と話しても,同じトピックにたどり着く。
「今の子どもは精神面が弱い」

この言葉にはちょっと違和感を覚える。

この言葉が常套句のように使われるようになった頃からだ。
これは教員自らの指導力不足を棚に上げて,この言葉で責任を回避しようとしていないか。

弊社も何かあるとすぐ「ウチの生徒は,メンタル弱いでしょう・・・」で片付ける。
まるでこの学力層の生徒,弊社の子たちだけがそうみたいにも聞こえる。
トップ校や上位校にはいないかのように云う。
どうせ言い訳されるのであえて突っ込まないけれど。

どこ行っても自分のところだけがまるでそうであるかのように言うのがひっかかる。
20年ちょいの経験から言うと,どの学力層にもメンタルが弱い子は今や山ほどいるのだ。
各校異なるのは,その原因や要因だったりする。

「精神的に弱い子」とは具体的にどのような子たちを云うのだろうか。
この言葉で括って,大人が,社会がかえって無用な弱さを助長していないだろうか。

Dr.キタ曰く,「『日本』というコミュニティが崩壊しているんだと思います。すべて人任せ。
自分の子どもを病気から守るのも人任せ。子を持つ親たちの連帯が必要では」。

学校は社会の縮図だ。
日本というコミュニティが崩壊しているなら,学校もすでに崩壊しているということだろう。
「責任の所在」がどこにもない社会,コミュニティだ。今の学校はうまくいかないことをすべて子ども
のせいにしている。大人の言動1つで善きにも悪しきにも変化(ヘンゲ)する。私には子どももいない
し,産んだ経験もないくせにこんなことを云うのはおこがましいが,せめて学校だけでも,自分の子
どもと変わらない愛情を“教育”という形で還元できないものかと思う。


子どもは弱くて逞しいものだ。
そして今の子どもの特徴は弱いというより,自尊感情が希薄である。
思春期は大体そんなもんなのだが,それが情報や近代化などの加速によって希薄化も進んでいるよ
うに感じる。自傷行為(リストカット)や自殺帰途,あるいは自傷的とも思えるピアスの装飾(アフリカ民
族みたいな大きな穴をあけたり,陰部や臍,乳首などにピアスをする子がいる)。これは昔からあっ
たのかもしれないが,現代ではその数も増加し,顕在化している。


枕は長くなったが(前置きかぃ!^^;),子どもたちの間で起こっている状況は大人のそれに置き換
えてもさして変わらないことが多い。

事例①
「A子ちゃんとB子ちゃんとCくんが仲良く話をしています。でも私がそこへ行くと決まって話が停まって
A子ちゃんは目を合わせてもくれません。B子ちゃんが一生懸命気を遣ってくれますが,B子ちゃんに
悪いから,席を外しています。自分さえいなかったらみんなうまくいくんじゃないかと思います。」

事例②
「私はD子ちゃんに嫌われていると感じます。D子ちゃんとは別に仲良しでもないから気にしないでいた
けれど,あきらかにシカトされます。挨拶しても無視です。自分はいないほうがいいんじゃないかと思う
ようになりました。」

これは過去に実際にあったケースですが,このテが多いです。去年も似たような事象を沢山見聞きし
ました。保護者からの相談を受けたこともあります。共通しているのは,当該生徒はもちろんのこと,
シカトをしている生徒もいずれも自尊感情が薄いということです。磁石のマイナス同士がはじき合って
いるようなものでしょうか。

よく聞くのは「自分さえいなければ・・・」という発想や言葉です。
そして,これを社会や会社,職場組織に当てはめると面白いくらい合致するところかないでしょうか。
現在放映されている「泣かないと決めた日」というドラマのスタッフに実は卒業生がいます。是非見て
ほしい,とメールがきました。このドラマは職場でのいじめをテーマにした,ちょっと怖いお話です。会
社を背景にしていますが,どうして学校を舞台にしなかったのだろうと色々考えてしまいました。ドラマ
で起こっていることは学校でも起こっていることだと思ったからです。ただ異なるのは,主人公が決して
精神的クライシスに陥らない点です。ここは制作者側がこだわったのでしょうか。来週からは苛められ
ていたヒロインが反撃し始めるようです。

私はあまりに恐くて見たり見なかったりなのですが(汗),苛める側のまるで悪意のなさそうな顔のなん
と貧しい,醜いことか
と思いながら見ていました。生徒たちにこのドラマのことを聞くとハマッているとい
う子と全く見ていないという子に二分しました。不思議と見てハマッているという子は自尊心の薄い子
ですねぇ。本当は自尊心の強い子にも見てほしいんじゃないかって思ったのですが。だって,今そうで
あって,将来的にそうならない保障なんてないですからね。

人間は環境の生き物です。
自分は強い,なんて思っていても急にここが痛いだの,あそこが痛いだのとなる場合は誰にでも起こり
うることだからです。思い上がってはいけません。人間はそんなに強くはありません。どんな経験も追
いつかない時もあります。つまり,今の子どもが精神的弱いというより,育てている社会や大人がすで
に脆弱なので,これは自然の流れではないのかと思えるのです。

私も恥ずかしながら自分の精神面はどこかで過信していました。
周りからも図々しいとか,心臓に毛が生えてるとか,それで三つ編みできるちゃうかとまで云われてい
ましたが・・・・・皆さんもご存知の通りのようなザマでございます(ーー;)自分が精神疾患にかかって分
かることはなかなか周囲に理解されないしんどさがあるということです。もっと云うと,分かったつもり,
理解したふりもまた見ぬけてしまうということです。これは思春期の子どもだともっと鋭いということです。

幸い,私は軽症?で済んでいますが,完治まではまだ長いと自負しています。でも,治らなくてもいい
やと思う時もあります。人間の正体が見えてくる気がするからです。私は時期と機会が来れば,子ども
たちにだって話をするだろうし,隠し続ける気もありません。治すというより,できるだけいい方向に本
質的な大人に成長したいという欲求は増えたかもしれません。これもまたわずかではあるものの,良
質で思慮分別のある友人知人のおかげでもあります。

大人になるってコミュニティ自体が狭くなることなのかしら。
隠し事や嘘が増えるから,誤解や噂が流布するのだろうし,オープンであることが忌み避けられるよう
なコミュニティが社会なのかしら。それは子どもの頃にならった未来とは違う気がする。同じようなこと
を私もまた子どもたちに強いているのだろうか。


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